“未来へ生きる”
演劇実行委員会とは

神戸は地震が来ない地域なんだと、
誰もがそう思っていました。


1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、それは突然起きました。
早朝なので寝ていたのですが、あまりにも大きく長いゆれに目が覚め、私は隣で寝ていた当時3歳だった娘の上に無我夢中で覆いかぶさっていました。
その隣に息子がお腹にいた妻が寝ていましたが、余裕がなく娘を守るだけで精一杯でした。
幸い、当時の私の家は断層から少し離れていたため、家族全員無事でした。

食器棚の食器はすべてフロアに落ちて割れており、電気も水もガスも止まっていました。
もちろんテレビも見られず、状況がわかりませんでした。
大変なゆれで、その後もずっと余震が続きましたが、その時はまだこんなに大変な事になっていたとは思いませんでした。
当時は携帯も普及していなかったのですが、震災直後はまだ電話が通じ同僚から電話がかかってきました。

「阪神高速が倒壊してるで!!」

深江本町阪神高速倒壊現場 深江本町阪神高速倒壊現場―写真提供:神戸市

その同僚は、明石市だったのでテレビが見られたのかもしれません。

「そんなあほな!!」
「あんな大きな道路が倒壊するわけないやん!」

信じられなかった私は、たまたま持っていたポータブルテレビを探し出しテレビをつけました。

テレビには、信じられない光景が映っていました。

ポートアイランドから長田・兵庫方面を望む ポートアイランドから長田・兵庫方面を望む―写真提供:神戸市
そごう神戸店 そごう神戸店―写真提供:神戸市
国内だけではなく世界中で起きている自然災害を、
他人事のように感じていました。

それから、いろんなことがありました。

人の暖かみ、人の裏切り。

お客さんの小さな子供さんがタンスの下敷きになって亡くなったのをテレビで見ました。

テレビで連日報道される映像を見て、絶望的な気持ちになりました。
阪神高速が倒壊し電車も動かずライフラインは寸断され、物資も当面入ってきませんでした。
スーパーには食べ物だけではなく、なにもかもなくなりました。
水道、ガスが止まっているのでお風呂はもちろん、トイレを流すことも出来ませんでした。
当然、仕事どころではありませんでした。

犠牲者の数も日に日に増え、6,434人にまで達しました。
大切な人を失った人、家も含めなにもかも失った人もいます。
そんな人達に比べると、私自信はたいした被害は受けてません。
そんな私でも、当時は絶望的な気持ちになりました。
でも、それ以上に感じたのは、圧倒的に人のあたたかみ。
全国から寄せられるはげましの言葉や多くの寄付に、すごく勇気づけられました。
それと同時に、国内だけではなく世界中で起きている自然災害を、今までどこか他人事のように感じていた自分に強烈な恥ずかしさを感じました。

未来へ。

あれから長い年月が経ち、私の中でも当時の記憶が薄れ風化されようとしています。
当時まだ妻のお腹の中にいた震災の年1995年4月に生まれた息子も、社会人になりました。
現在の被災地はあれだけ大きな地震があったとわかるような震災の痕跡 はなく、震災を経験した人も神戸市内では半分程度となりました。
そんな震災から20年目を目前とした2014年、神戸新聞社と神戸市が震災の記憶と教訓を次世代に伝えていくことを目的とし、「117KOBEぼうさいマスタープロジェクト」が立ち上がりました。
そしてその活動の一環として実施されたのが、この「震災をテーマとした演劇の実施」でした。

私の知る限り、神戸で大きな地震が起きたという記憶はなく、私を含め神戸は地震が来ない地域なんだと誰もがそう思っていました。
当然地震保険に加入することもなく、突然の自然災害に対する心構えなどまったくありませんでした。
映画やドラマと違い、演劇は“今”、生身の人間が演じる現実です。
他人事ではなく、今目の前で起こっている現実を“体験”してもらうことで、少しでも震災を感じてもらい、見てくれた震災を知らない若い方々が自分達で何かを感じ自然災害について調べたりしてくれたらいいなという想いでこの取組みを始めました。
1995年の出来事をこのまま風化させないこと、
命の大切さや防災について考えるきっかけとなってもらえれば・・。
と思っています。


“未来へ生きる”演劇実行委員会
実行委員長 魚谷 浩史

「117KOBEぼうさい委員会」について

117KOBEぼうさい委員会活動の様子1
兵庫県内の大学生で組織する「117KOBEぼうさい委員会」が下記の活動を行い、震災の記憶を次代に伝えていきます。

(※現在17大学約80名が在籍しています)
阪神・淡路大震災から20年の節目を迎える直前の2014年に「117KOBEぼうさいマスタープロジェクト」は始動しました。
きっかけは…… 神戸市が当時発表した資料では、阪神・淡路大震災後に市外から転居してきたり出生したりした市民が、2010年1月段階で36%、13年には42%、21年に50%を超え、大震災を直接経験していない市民が、過半数となる…… 神戸新聞社内も「震災後入社」組が社員の約半数を超え、教訓と記憶の継承は大きな課題となり、被災者の高齢化も伴い、ますます厳しい現状となっています。 一方、自然災害は世界中、いつ、どこで起こってもおかしくありません。
国内でも異常気象などにより、これまで考えられなかった被害が多発しています。
こうした中、阪神・淡路大震災20年の節目に合わせ、人命を守るために警鐘を鳴らそうと、「117KOBEぼうさいマスタープロジェクト」を神戸市と共に始動させました。
次代を担う若い人たちに、自分たちの視点で防災について考えてもらうことにより、当事者意識を高める狙いです。
備えの大切さを楽しみながら身に擦り込み、仲間にも伝えてもらいます。
防災力強化へ、永続的に取り組む決意で本プロジェクトを組み立てることにしました。
これこそが、地元紙の役割であり、新聞社らしい地域課題解決の実践であると考えたのです。
117KOBEぼうさい委員会活動の様子1 117KOBEぼうさい委員会活動の様子1